お正月の松の内とはいつまでか?松が明ける正しい意味と由来を解説!
松の内というのは、お正月に松飾りや門松を玄関や門などに飾っておく期間のこと一般的には考えられています。
松の内とは本来はどのような由来のあることなのか、いつまでか、松が明けるとはどんな意味なのか調べてみましょう。
お正月の松の内とは
お正月になると、家の玄関先など目につきやすいところに門松や松飾りをするのはなぜなのか。
その理由はその年に訪れる歳神様(年神様)が道に迷うことなくたどり着くための目印として飾ります。
そして松の内というのは、年神様がその家にいらっしゃる期間だと示すために松飾りをしている期間のことを言います。
そもそも歳神様とは何なのかご存じない方も増えているようです。
歳神様は元旦の初日の出とともに各家にやってくる神様のことです。
歳神様については由来や起源は諸説ありますが、神道は農作物との深いかかわりがあることが多く、歳神様も穀物の神様という説が残っています。
日本は農耕が発展した民族ですが、農業をする家庭が少なくなった今では、一年の始めにその家に新しい歳を迎えて一年を無事に過ごせるように願う存在の神様となっています。
ちなみに、鏡餅は歳神様へのお供えものです。
松の内とはいつまでか
松の内とはいつまでか、その期間は地方によって違いがあります。
関東では1月7日まで、関西では1月15日までが松の内となっています。
なぜこの期間が地方で違っているのか、その理由は江戸時代にさかのぼります。
三代将軍徳川家光が亡くなった日を忌日としてお祝いごとを避けるようになり、もともと1月15日を過ぎた後の1月20日に鏡開きをしていた習慣を早めて1月11日に鏡開きをするようになりました。
それに伴って松の内も1月7日までとしたという説が有力です。
関西地方では徳川幕府の影響をあまり強く受けていないことや、都のある京都を中心にした文化の方が強く影響して現在でも1月15日が松の内として残っていると考えられます。
お正月の松が明けるとは
松が明けると松飾りを外して、歳神様にお供えしていた鏡餅を鏡割りしていただきます。
現在は西洋暦を使うようになり、明治政府が1月1日が新年の始まりと定めていましたが、それまでは旧暦を使っていたため、お正月は現在の1月15日になります。
この旧暦のお正月のことを小正月と呼ぶこともあります。
小正月には小豆粥を食べることが伝わってようです。
現在では、松が明けると鏡割りをして小豆を使ってぜんざいやしるこを食べる習慣と重なるのも、時代の流れに沿ってお正月の習慣が変化したことからだと思われます。
今のような忙しい現代人には、1月15日までゆっくりとお正月を過ごせるなんて羨ましいことですが、働き者が多い日本人には1月7日くらいがちょうどよいのかも知れませんね。
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